こちらは兵庫県立洲本高校 公式 同窓会ホームページです。

学校長からの言葉
(平成26年度)

ご挨拶 学校長 越田 佳孝

2014年12月12日

 県立洲本高等学校の同窓会の皆様には、日頃から本校の教育活動にご理解と多大なるご支援を賜っておりますことに厚く御礼申し上げます。
 11月22日(土)、東京霞ヶ関ビル35階の東海大学交友会館で、洲本高等学校同窓会東京支部総会がありました。今年(平成26年)は、洲本高等学校同窓会東京支部設立10周年の記念すべき年にあたります。淡路からは、永田 秀一 同窓会副会長(県議会議員)、坪内 隆佳 同窓会専務理事、野口 哲司 同窓会常務理事と校長(私)が出席しました。私は昨年に引き続き出席です。今年の参加者は約60名。かなり大先輩にあたる同窓生から若い人まで多彩な年齢層の方々が参加されていました。

 総会は、予算・決算の議案を審議した後、講演会と続きます。今年の講演会の講師には、永田 秀一副会長にお願いし、永田副会長の祖父にあたる 永田 秀次郎(俳号は「青嵐」)先生の生き方についてお話しいただきました。ご存じのように、永田 青嵐先生は、淡路島の三原郡(現在の南あわじ市)出身で、旧制県立洲本中学校第三代校長にして、関東大震災時の東京市長(当時、東京都はまだなく東京府、現在の23区が東京市だった)、貴族院議員、鉄道大臣、拓務大臣等を歴任したふるさと淡路の偉大な先輩であります。

海晴れて 松風清き 丘の上に 正しき者の 墓と呼ばれむ  
                                        青嵐
 
 永田青嵐先生は、関東大震災時の東京市長や数々の大臣等、政府の顕官・顕職を歴任されたふるさと淡路の大先輩ということはよく知られています。今回のお話では世間によく知られているそういった華やかな面よりも、旧制高校(第三高等学校)卒業後、田舎に隠棲したような状況になっていた青嵐先生が、26歳の若さで洲本中学の校長に着任し、紛争を解決したこととか、関東大震災で亡くなられた方の冥福を祈るため、市長退職金の全額を拠出して高野山に震災記念堂を建立したこと、第二次世界大戦の勃発のため中止となった、幻の昭和15(1940)年の東京オリンピック誘致活動の話など、隠されたエピソードを紹介していただきました。

 特に圧巻は喜劇王チャールズ・チャップリンとの交流です。チャップリンが来日した時に会いたい人物がなんと永田青嵐であったこと。彼に今まで一番気に入った映画はと尋ねると即座に「the last one」と答えたことを「芸術家は全てこの気持ちでなければならない」とこの言葉を終生気に入っていたといいます。

 懇親会では、私は、本校2年生が毎年8月に行う、東京大学や中央官庁、筑波の研究施設を見学する「未来探究東京ツアー」に毎年多大にお世話になっているお礼と、神戸・芦屋市と学区が一緒になる中で頑張っている洲高の現状をお話ししました。また、野口先生からはボート部、陸上競技部、邦楽部等活躍するクラブ活動を報告していただきました。

 懇親会も、自治と自由な校風を標榜する洲本高等学校らしく、支部長、校長といっても特別の席が設けられるわけではありません。卒業年次毎のテーブルに座ります。洲高の卒業生ではない私も、該当する卒業年次のテーブルに座わるのです。その辺りが形式にこだわらない洲高の自由な校風が出ています。その席ではたくさんの方と仲良しになりました。また、昨年の東京支部総会・懇親会にも出席して旧知となった洲高卒業生の方々と再会し、楽しい時間を持たせていただきました。
 その場の名刺交換などでは、筑波大学の生物学類の先生に来年の「未来探究ツアー」に協力していただけるというおもわぬ成果もありました。早速、学校に帰り学年主任と担当の先生に連絡していただくようにお願いしました。

 洲本高等学校同窓会の懐の深さとOBの方々の母校愛を目の当たりにして、私も含め、現在洲本高等学校に勤めている教職員と現在洲本高等学校で学んでいる者たちの責任に対して思いを新たにしたところです。これが「歴史を創ること」につながります。今日の洲本高等学校を作られてきた方々への責任を、今、現在の私たちが果たすこと、これが10年、50年、100年後の洲高の歴史になるのです。同窓会の皆さまには、今後とも一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。

ご挨拶 学校長 越田 佳孝

2014年07月01日

 本日は、平成26年度県立洲本高等学校同窓会総会がかくも盛大に開催されますこと、心よりお喜び申し上げます。同窓会の皆様には、日頃から本校の教育活動にご理解と多大なるご支援を賜っておりますことに厚く御礼申し上げます。

 平成26年度が始まりました。4月8日には69期生240人が入学しました。この69期生は、昨年9月の進学希望調査で324名、3月の学力検査では定員を13人上回り、志願変更の段階でも他に定員を満たしていない高校があるなかでも定員を7人超える受検生が本校を志願してくれました。69期生240人は、そういう学力検査を経て入学した生徒たちです。私どもとしてはありがたいと同時に責任の重さを感じております。

 5月9日に創立記念式と記念講演会を行いました。記念講演会では、本校平成10年卒(第50期生)のアーティストの清川あさみさんと漫画家の藤堂 裕さんの対談でした。題名は「未来の作り方」。お二人は高校時代を振り返り「洲高はとても自由な学校だった。先生方も生徒の自主性を温かく伸ばしてくれた」と語ってくれました。

 自由と放縦はしばしば混同される概念ですが、自由と放縦とは全く別の次元のものです。外見の自由は決して内面の放縦を意味していません。自由と放縦、それを分かつものは内面化された規律です。お二人は、人間として、高校生としてあるべき姿と厳しい生き方を追求する洲高での三年間の「学び」をとおして、内面の規律を身につけられたのです。これは洲高の教育の成果なのです。それを担保しているものこそ、明治30(1897)年創立、117年におよぶ歴史と伝統であると私は考えております。

 私は、昨年4月の着任以来ことあるごとに歴史と伝統という話をしています。いずれの国にも歴史があります。それぞれの地域にはそれぞれの地域の歴史が、我が家には我が家の歴史が、私たち一人ひとりにも私たち一人ひとりの歴史があります。そして、それぞれの学校にはそれぞれの学校の歴史があるのです。歴史とは教科書に記されている事実ではありません。それぞれの国が、地域が、家族が、そして個人が、学校が大切にしてきたものの総体です。ある人はこのことを、国柄といったり、地域性といったり、古風な表現ですが家風といったりします。学校の場合は校風です。

 先ほどの清川あさみさん、藤堂裕さん、先日学校に突然おいでになったキムラ緑子さん、そしてなによりもこの場にご参集の皆さま自身が、洲高といえば自由な校風と異口同音にお答えになるでしょう。この時を経て、時代を超えて同じ学校を卒業したもの同士をつなぎ止めていく紐帯こそ、歴史であり伝統なのです。

 「母校」とは学んだ学校の美称です。英語では「alma mater (アルマ・メイター)」といいます。もともとラテン語で「恵み深き母」を意味し、転じて「母校」となったものです。日本語の「母校」と同じ語感を持つことばなのです。「人は二度生まれる。一度は存在するために、二度目は生きるために」(『エミール』)といったのはルソーでしたが、この二つのことを合わせて考えてみると、「人として生きる」いわゆる「第二の誕生」に係わるのが高校教育です。しかも、その教育は、どこにでもある教育ではない、洲本中学、淡路高女、洲本高校の117年間、連綿と続いてきた「子どもたちの未来をつくる」歴史と伝統のある教育です。それは、至誠という校訓のもと、その時一瞬一瞬、「永遠の今」を大切にしてきた教育です。

 創立記念式で話しましたが、県立洲本高等学校は、兵庫県下にあまたある他の高等学校とは違う一つの大きな特徴を持っています。それは「設立された」とか「創立された」、「作られた」というように「受け身形」で語ることのできない存在であるということです。それは、洲本を中心とした淡路の人々の「教育」や「学ぶこと」に対する凄まじいまでの欲求、学びに対する真摯な渇望、魂の叫びが、学校を作ろうという運動を呼び起こし、その運動の成果が実を結んで、生まれた学校だからです。洲本中学校も、淡路高等女学校も、洲本高等学校定時制もそうでした。洲高117年の歴史で、そういう運動は三度もありました。

 洲本高等学校は、創立以来117年そんな学校であり続けてきました。そして、これからもそんな学校であり続けなければなりません。Always has been, and always will be.なのです。私たち世代に課せられた使命は、洲本高等学校創設の精神を受け継ぎ、さらに次の世代にそれを受け渡していくことです。それが歴史であり、伝統であり、それを守り伝えていくことが、今を生きる私たちの「使命」であり「誇り」なのです。

 今、ふるさと淡路は、平成27年度入試からの学区の拡大問題で揺れています。そういう時期だからこそ、洲高が明治30年の創立以来117年間、営々と果たしてきた「人づくり」の歴史、伝統を、強調し大切にしていかなければなりません。私が昨年の着任以来、ことさらに意図して「歴史」を語るのはそういう意味です。自分は何者で、どこから来たのかは、自分がどこに向かうのかを考える際の指針です。それがあるから未来が描けるのです。
 同窓会の皆さまには、これまで以上のご支援をお願いするとともに、洲本高等学校、洲本高等学校同窓会の益々の発展を祈念いたしまして、私の挨拶と致します。
 本日は誠におめでとうございます。

ご挨拶 学校長 越田 佳孝

2014年06月17日

歴史を創る 第53回洲高文化祭

 県立洲本高等学校の同窓会の皆様には、日頃から本校の教育活動にご理解と多大なるご支援を賜っておりますことに厚く御礼申し上げます。
 6月12日と13日の2日間、第53回県立洲本高等学校文化祭を開催しました。文化祭のテーマは「新しい歴史は僕らの手で」。以下は開会式での私のあいさつです。

 ただ今、第53回洲本高等学校文化祭が開催されました。テーマは「新しい歴史は僕らの手で」。なんと気宇壮大で、素晴らしいテーマでしょう。生徒会で募集して、決定したとのこと。もう一度テーマをいいます。「新しい歴史は僕らの手で」。今、洲本高等学校に学ぶ私たち自身が、洲本高等学校の「歴史」を創るのだという「誇り」と「気概」を感じさせるテーマです。生徒会長の狩野君は、先ほどの開会宣言を「未来を創ろう」と結びました。「歴史を創る」とは過去のことではなく、現在とそれにつながる未来を創ることです。

 いずれの国にも歴史があります。それぞれの地域にはそれぞれの地域の歴史が、我が家には我が家の歴史が、そして私たち一人ひとりにも私たち一人ひとりの歴史があります。歴史とは教科書に記されている事実ではありません。それぞれの国が、地域が、家族が、そして個人が大切にしてきたものの総体です。生徒会長の狩野君が言うように、未来を創るためには、今はどうなっているのか、これまではどうだったのかということを真摯に学ぶ必要があります。私たちの国が、私たちのふるさとが、私たちの家族が、そして私自身が大切にしてきたものを理解して、それに敬意を払う。それが歴史を創る第一歩です。

 これまでの歴史は、初めから「歴史を創ろう」と意図した営みが歴史になったことなどは皆無といってよいでしょう。現在、教科書や歴史書に載っている、それ以降の社会に大きな影響を与えたとされる「歴史的出来事」も、実際はその時その時の「今」を真剣に生きてきた営みの結果です。それを後の時代の人たちが振り返って「歴史を創った出来事」と称しているのです。日本史教科書に出てくる明治新政府の国家体制を作ったとされる坂本龍馬の「船中八策」もそうです。龍馬が長崎から京都へ向かう船の中で、まずは土佐の山内容堂に、将軍に大政奉還を建言させるため、大政奉還後どうするかを必死に考え作ったものです。

 さて洲本高等学校の歴史です。洲高の前身、淡路高等女学校の初代校長川路寛堂先生は、日本で初めて女学校教育に水泳を導入したことで歴史に残っています。川路先生の祖父は江戸幕府の勘定奉行川路聖謨(としあきら)で、幕府に殉じて自決。その孫の太郎が外務省・大蔵省を経て教育者に転じ、初代淡路高等女学校の校長になったのです(吉村昭『落日の宴』講談社1996)。彼は当時の女子教育にとって何が大切かを考え、大方の反対をものともせず水泳を取り入れました。まさにその一瞬一瞬「今」に誠実であろうとしたのです。それが「歴史を創ること」につながるのです。洲本高校の校訓の「至誠」今一度かみしめましょう。今この瞬間の皆さんの「至誠」が、10年、50年、100年後の洲高の歴史になるのです。

 同窓会の皆さまには、今後とも一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。


ご挨拶 学校長 越田 佳孝

2014年05月08日

 県立洲本高等学校の同窓会の皆様には、日頃から本校の教育活動にご理解と多大なるご支援を賜っておりますことに厚く御礼申し上げます。
 新しい年度が始まりました。毎年、春という季節は、「出会いと別れの季節」でもあります。本校でも、4月1日付けで新しい教職員を迎えました。このことは、洲本高等学校ホームページにも掲載していますのでご覧下さい。あわせて、平成26年3月の進路状況もご覧下さい。

 私は、4月当初の着任式・離任式で以下のような話しをしました。

 今日は、平成26年3月31日付けで退職、転勤された先生方の離任式です。春、4月は「出会いと別れの季節」でもあります。「出会いは偶然、別れは必然」という言葉があります。これまで親しくしていただいた方々とも、出会った以上はいつかは別れなければならない時が来るという冷厳な事実を諦観した言葉です。多分人生はその通りなのでしょう。しかし、このことは頭では理解できても、気持ちの上ではなかなか納得できるものではありません。この「人生の出会いと別れの季節」によく引用される中国の漢詩を紹介します。

 年年歳歳 花相似たり 
 歳歳年年 人同じからず

 これは、中国唐代の詩人、劉廷芝の「白頭を悲しむ翁に代る」という詩に出てくる二句です。この詩の数句前に「今年 花落ちて 顔色改まり 明年 花開いて 復た誰か在る」という二句があります。この詩のことを、中国文学者で、奈良女子大学、東北大学の教授を歴任した村上哲見さんは、「自然は春夏秋冬と同じようにくり返していくのに対して、人間は決して同じではあり得ないという思いを鮮やかに描き出している」(『漢詩の名句・名吟』講談社現代新書 1990)といっています。
 春、4月には人は変わります。見送られ、迎えられる人は年々変わるのです。そして、見送り、迎える人も同じ人ではありません。人は、一年、一年を過ごすごとに成長していきます。見送り、迎える人も「昨年と同じ人」であってはならないのです。皆さんの日々の成長を期待します。

 離任式では、退職される先生、離任された先生方からあいさつがありました。それぞれの先生は、何十年もの教職生活を洲本高等学校でとじることになった先生から、数年の教師生活を経て洲本高等学校を離れられる方と、その思いはさまざまです。あいさつを受ける生徒にしても、2年間にわたって授業や部活で指導をしていただいた生徒から、新一年生のようにそういう機会が全くなかった生徒までさまざまです。
 しかし、すべての生徒には、授業や部活で指導をしていただいたとかいただかなかったとか、今日初めて出会ったとか、そういう関係は抜きにして、人生の先達(せんだつ)の話をしっかり聞こうという態度や姿勢で満ちていました。それは、自分が理解できるとかできないとかはさておき、そういう先生方のこれまでの「歩み」に対して敬意を表そうとする姿勢であり態度でした。

 私は「他に対して敬意を表する」とはどういうことかを知っている者だけが、他から敬意を表されると思っています。自らが、他に対して敬意を表するということをしない者が、他から敬意を表されるわけがありません。洲高の生徒たちは「他に対して敬意を表する」とはどういうことかを知っているのです。頼もしい限りです。それは、これまでの洲本高等学校の教育の成果がもたらしたものなのでしょう。

 過去を知らずして現在を語ることはできません。そして、未来を語ることは現在を生きることです。「同窓」とは、同じ学校で学び、同じ師から教えを受けたことを意味します。その「学び」や「教え」は、今、現在の「学び」や「教え」だけではなく、かつてこの学校で行われていた「学び」や「教え」であり、これからもこの学校で行われるであろう「学び」や「教え」です。それを体現しているのが校訓の「至誠・勤勉・自治・親和」です。この校訓こそ「洲高」の根底に流れている精神です。

 平成26年度も、この4月に新たに着任した者も含め教職員が一丸となって、明治30年創立以来117年にわたって営まれてきた本校教育の殿堂に、さらなる「黄金の釘(こがねのくぎ)」を打ち加えていく決意でありますので、今後とも一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。

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