県立洲本高等学校の同窓会の皆様には、日頃から本校の教育活動にご理解と多大なるご支援を賜っておりますことに厚く御礼申し上げます。新しい年度が始まりました。毎年、春という季節は、「出会いと別れの季節」でもあります。全日制では16人の方(再任用・臨時的任用者含む)、定時制では5人の方(同)を迎えました。
新しい年度のはじめにあたって、洲本高校のミッションとビジョンについて教職員に話をしました。「どういう生徒を育てるか」という話です。
まず、全日制です。全日制においては、この4月に入学した70期生は、神戸市と芦屋市の三つの学区と淡路学区が一緒になった、新しい第1学区の複数志願選抜制度を経て入学する初めての生徒です。第1学区の複数志願選抜制度は、神戸・芦屋・淡路地区の普通科・普通科単位制・総合学科計25の高等学校を一つにして合否と合格校を決定しました。洲本高校は、入学者の全員が第一志望で合格した数少ない学校の一つです。その学校が第一志望か否かというのは、その生徒の学ぶ意欲に大きく影響を与えます。また、生徒は学ぶ環境から敏感に影響を受ける存在でもあります。そういう意味では、全員が第一志望で入学した洲本高校での、私たち教職員の果たす責任は大きいのです。
さらに、新第1学区での複数志願選抜で洲本高校に合格した生徒も、これまでの淡路学区での単独選抜の時と比べかなり「変化」しました。全員が第一志望での合格者ですから、入学者の学力は全体的に当然上がっています。しかし、その一方で、神戸地区の伝統校・進学校に匹敵する学力の生徒を含め、生徒の学力のばらつきに幅広いものがあることは事実です。私は、そういう生徒も含めて、全ての生徒の「学力の下支え」こそ、大切であると考えています。私たちは、成績上位の生徒も、そうでない生徒も、全ての生徒が「学ぶ喜び」、「学ぶ意欲」を失わない指導を丁寧に進めていかなければなりません。全ての生徒が学ぶ意欲を失わない学習環境こそ、それぞれの生徒が「持てる力」を遺憾なく発揮できる原点だからです。教育は英語で“education”いいます。これは持てる力を外へ引き出すことを意味しています。
複数志願選抜の実施にあたって、県教育委員会は、各学校の特色をつくり、特色化を進めて下さいと盛んに喧伝していました。確かに複数志願選抜だけではなく、志望校の選択にあたっては、各高等学校の特色を知ることが大切です。私は、「特色」・「特色化」とは、これまでその学校が大切にしてきたものを意識化し、それを意図して言明するだけのことだと考えています。それは詰まるところ「どういう生徒を育ててきたか」「そのために何を大切にしてきたか」という歴史や伝統をもう一度再確認しましょうということに過ぎません。
校長は数年、先生も長くて十数年で変わります。しかし、学校は何十年と変わるものではありません。むしろ変わってはならないものです。洲本高校の特色とは、創立以来118年にわたって私たちの先輩が大切にしてきたものを守り伝えていく教育活動にあります。それを具現化したものが「至誠、勤勉、自治、親和」からなる教訓です。そういう歴史と伝統を持つ学校で学んだという事実が持つ「効果」は数値では計ることができませんが、人が生きていく上で一番大切なものである「自信」と「誇り」となります。フランスの小説家サン=テグジュペリが、彼の代表作『星の王子様』の中で「大切なものは、目に見えない」といったとおりです。「歴史」や「伝統」を知らずして「自信」と「誇り」を持った人間が育つはずがありません。
今、世界と日本は、グローバル化や情報通信技術の進展、少子高齢化などにともなって変化が激しく、先行きが不透明なものになっています。しかし、「変化が激しい」とか「価値観の多様化」というのは、20年も30年も前からいわれていました。私には、そういう言葉を使うことによって、いずれが正しい進路なのか指し示すことから生じる責任やリスクを回避しているように思えてなりません。むしろ、別の言い方をすれば、誰もがいずれが正しい進路か指し示す自信を失っている時代なのです。私は、こういう時代に求められる力とは、「与えられた問題」の解を、「教えられた方法」によって探し出す力では決してない。「与えられた問題」の解を、「自ら編み出した方法」によって導き出す力でも不十分。自ら自由に問題を設定し直して、新しい解を探っていく力。言い換えれば、既存の社会や組織のシステムやフレーム、それ自体を変えていく力が求められると思っています。そういう時代に求められる「力」こそが「教養」なのです。
「教養」とは、英語で“liberal arts”といいます。“liberal”とは自由という意味で、ここでいう自由とは、誰かの指示でもなく、誰からも束縛されず、自分で判断して行動できる人間としての「自立」をいい、“liberal arts”とは、そういう自立した人間に必要な知識・技術のことをいいます。また、私は、「教養」には二つの意味があると考えています。
一つは、「思考・学びの教養」です。今、学んでいることは、その学問体系の中でどこに位置するのかがわかることです。当該の教科・科目の「学問」の中で、自分がいる場所を俯瞰する力(マッピング“mapping”力)です。「マッピング」とは、地図上の点に「私がいる場所」の印をつけること。今、考えたり、学んだりしている「自分の立ち位置」を知ることです。
もう一つは「行動様式の教養」です。英語では“decency”といいます。「立ち居振る舞いの適切さ」を意味します。教養のある人とは、自分の立場がわかっている人のことをいいます。自分がどういう場面で、どういう行動や振る舞いをすることが求められているかがわかっている人のことです。洲本高校で、「洲高生らしく」というのは“decency”を身につけろということ、つまり「教養のある人になれ」ということです。
次ぎに定時制に与えられたミッションです。本来、定時制は、「働く青少年に高等学校教育を保障するとともに、多くの有為な人材を育成する」という目的で設置されました。定時制発足以来、68年の歴史を刻み、社会環境の変化の中で、過年度卒業者や不登校経験生徒など多様な生徒を受け入れているのが現状です。その結果、社会性や基本的な生活習慣を身につけさせると同時に、社会人として必要な基礎学力を定着させる等、定時制教育が果たす役割も変化してきています。
そういう変化に対応する、洲本高校定時制の取り組みをあらわすキーワードが「学び直し」です。洲本高校でいう「学び直し」には二つの意味があります。一つは、小学校・中学校で「学び残してきた部分」を、高校生としての発達段階をも配慮して、もう一度学ぶということです。あと一つは、何らかの理由で一度は高校を離れたけれども、やはり「高校で学びたい」「高校卒業の資格をとりたい」と考える人に、再び学ぶ機会を提供するという意味です。毎年、生活体験発表会の県大会出場者の原稿には、洲本高校定時制に出会うまで、自らの居場所、自分自身がしっくりとくる「学びの場」を求めて彷徨っていた小中学校時代の日々を、赤裸々に綴ってくれたものもあります。小中学校時代になかなか学校に行くことができなくて、やっと見つけた自分自身が落ち着いて学べる場、安心して友だちとつながることができる居場所、それが洲本高校定時制だったと語ってくれています。何らかの事情で小中学校時代学校に行くことができなかった人、一旦は高等学校を離れたけれども、やはり「学ぶこと」の大切さに目覚め、もう一度学びたいという人にとって、洲本高校定時制は「学び直し」を保障する貴重な場であるわけです。そういう貴重な「学びの場」を提供することが、淡路島の唯一の定時制、洲本高校定時制に課せられたミッションです。
私は、生徒たちに、まず学校に来る、そして授業をしっかり受けて学ぶ、さらには学んだ「成果」をいかし自らの将来への道筋をつける、と機会ある毎に話し続けています。洲本高校定時制は、その魅力・特色を「できる」「わかる」「つながる」の3つのコンセプトで説明できます。まず、学校に来れば、小中学校の時に学び残してきたものを学び直すことができる。さらには、一旦は学校を離れてしまったが、もう一度学びたいと思う人は再び学び直すことができるのです。これが「できる」です。学校に来て授業を受ければ、少人数で丁寧な先生の指導により、授業内容がわかるようになります。また、授業以外のホームルーム活動等をつうじて、ソーシャルスキルトレーニングを学び、相手の気持ちもわかるようになります。これが「わかる」です。そして、体育祭、文化祭、ボランティア活動、生徒会活動等の様々な学校行事によって、友だち、先輩、先生、さらには地域の人たちとつながっていきます。そしてそういう人たちとのつながることによって視野が広まり、責任感などの意識が深まり、そのことで自らの将来に道筋がつき、自分の未来につながるのです。それが「つながる」です。こういう「できる」「わかる」「つながる」を三つのコンセプトとした教育活動を展開していくことが、「学び直し」という「ミッション」の達成のために、学校が目指す姿や形、教育内容を具体化した「ビジョン」です。
平成27年度も、この4月に新たに着任した者も含め教職員が一丸となって、明治30年創立以来118年にわたって営まれてきた本校教育の殿堂に、さらなる「黄金の釘(こがねのくぎ)」を打ち加えていく決意でありますので、今後とも一層のご支援を賜りますようお願い申し上げます。